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親バカでいい 第17話

18、「子どもの夢を応援してあげる」 僕が最初になりたかった職業はプロのトロンボーン吹きでした。小学2年生のときで、テレビてクレイジーキャッツの谷啓さんがトロンボーンを吹いているのを見て、自分もトロンボーンを吹きたいとなったのでした。丁度その頃、僕の父が他界し、諸川家は母親の女手ひとつで僕と兄を育てていかないといけないという時期でした。少しでも無駄遣いを無くし、とにかく親子三人で頑張っていかなければならないそんな大変な時に、生来わがままだった僕はそんなことはおかまいなしに、母親に「僕、トロンボーンが欲しいんだ!どうしても欲しいんだ!」とねだったのでした。トロンボーンを紙で作ってくれた兄は猛反対でしたが、オフクロは他の出費を抑えて、銀座のヤマハで買ってくれました。ラーメンが50円という時代での16000円。そんな無理をしてまで買ってくれたトロンボーンでしたが、実際に手にしたら吹く努力をすることもなく、一カ月もせずにトロンボーン吹きになることを諦めてしまいました。本当に最低なガキだったのです。 次に夢中になったのが、小学3年生のときに出会ったプロレスでした。将来はジャイアント馬場さんとタッグを組んでインターナショナル・タッグチャンピオンになるんだと決めていました。兄は、金曜8時からのプロレス中継が終わると必ずといって良いほど、僕とプロレスごっこをしてくれました。わざわざ額にケチャップを塗っての兄の熱演でした。オフクロは、仕事の帰りにプロレスの記事が出ている東京スポーツを良く買って来てくれました。小学3年生において、僕がまだ習っていない、「死闘」とか「奪還」、「防衛」や「乱闘」という漢字を難なく書けたのは全て東京スポーツのおかげでした。オフクロが握ってくれたおむすびを持って、自宅から電車に乗って、割と簡単に行けた田園コロシアムに馬場さんの選手権試合を観に行ったこともありました。僕のプロレス熱は、小学4年生の終わりに野球と出遭うまで続きました。 ある日僕の同級生の野球チームが人数が足りないということで誘われ、当時野球部に在籍していた兄の使い古したグラブを借りて参戦しました。ところが、いざグランドに行ってみると人数は足りていて、僕はセンターとライトの後方を仕方なく守らされる補欠要員での参加となりました。生まれて初めての野球でしたから当然全打席三振。にもかかわらず、僕は野球の魅力にすっかり取り憑かれてしまいました。それからは、毎晩兄と庭で素振りをして、自分用のグラブも買って貰い、長嶋茂雄さんに夢中になりました。長嶋さんがローリングスのグラブを使っていたから僕もローリングスの軟式用グラブを買って貰い、長嶋さんと同じ背番号3のジャイアンツのユニホームを買って貰いました。オフクロは日曜日も返上して働いていたにもかかわらず、息子が野球に夢中になったと知ると、疲れを見せることなく、一緒に神宮球場へ巨人戦を観に行ってくれました。野球のルールなどもわからなかったにもかかわらず、オフクロはとにかく僕の将来はプロ野球選手になるという夢をまさに無償の愛情で応援してくれました。そして私立の野球の名門中学に通わせてくれたにもかかわらず、中学3年の夏に受けた高校の野球部のセレクションのときに肘を壊し、あっけなく僕のプロ野球選手になるという夢は散ってしまったのです。 ところが今度はすぐにエルヴィス・プレスリーに夢中となり、それから45年、今もエルヴィス道を歩んでいる次第です。 オフクロは93歳でこの世を去る少し前に僕に言いました。「おっかさんは、長男が大学教授で次男がロカビリー歌手でいることを誇りに思いますよ」と。そうなんです、オフクロはいつだって僕の夢を応援してくれました。味方でいてくれました。僕はそんなオフクロに深謝し、心からオフクロを誇りに思っています。


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