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親バカでいい 第8話

9、「色々な仕事がある」 保護司をしている時に、就労に苦労する子どもたちを見て始めたのが「キャッチボール」(2009年11月から述べ23回開催)というトークイベントでした。毎月1回、地元にある子どもが集うスペースを借りて、開催していました。毎回、様々な職種の方をゲストに招いて、何故その仕事に就いたのか?から始まり、仕事の苦労話や喜び、果ては人生を語ってもらうといった内容で、年一回は公会堂を借り切り、著名なゲストも招いたりして開催していました。 それにしてもどんな人にも必ず人生にはストーリーがちゃんとあるんだなあと感心したものです。自分の人生を語る機会がないだけで、その機会が与えられたなら、どの方の話も本当に興味深いものばかりでした。ペンキ屋さんから印刷業、俳優さんからフィギュアの原型師、区長さんからレコーディングエンジニア、デザイナーから出版編集者など、本当に幅広い業種の方たちから貴重な話を窺える機会、それが「キャッチボール」でした。 そんな中で、目から鱗というか、大いに感心して納得した事柄がありました。 山本ゆうじさんという日本で最初にスポーツとDJを融合させたスポーツDJという職種の方で、スポーツ会場の中で客席を盛り上げるMCや音楽を流すという、今ではすっかり認知された職業ですが、山本さんがこの業種をスタートさせた30年前は相当な苦労があったようです。この山本さんが、実に素敵な話をしてくださいました。 「皆さんの中には、プロ野球の選手を目指したけれどなれなかった人はいないでしょうか?」 という山本さんの問いかけに、司会進行の僕が真っ先に手を上げました。僕の中学までの夢はプロ野球選手になって、お袋を楽させるというのが夢でした。けれども中学3年生の時に右肘を壊し、野球が続けられなくなってしまったのです。普通なら途方に暮れてしまうのでしょうが、僕の場合はすぐにエルヴィス・プレスリーのおかげで人生の目標を見つけることが出来ましたから、落胆度は最小限で済みました。が、それ一筋に頑張ってきたのに、結局目標を見失ってしまったいう人にとって、その心の痛手は相当に辛いものだと察します。そんな中、山本さんが仰ったのです。 「プロ野球選手になれなくても、それに携わる仕事に就くことは可能です。例えば、野球なら審判職もあるでしょう。球場の係員、グランド整備員という仕事もあるでしょう。球団の関係者になる道も、用具を扱うスポーツメーカーの道もあるでしょう。要するに関連する仕事に就くことは可能なんです」 この話を聞いて、本当になるほどと思いました。確かに夢を閉ざされた時のショックは大きなものでしょうが、目先を変えて、関連業種に進んで、そこでプロとしての道を極めることも人生の在り方だということを山本さんは説いてくださったのでした。


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