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親バカでいい 第16話

17、「好きこそ物の上手なれ〜継続は力なり」 前述したように、走ることが好きな息子は、いつかきっと努力することで速くなると僕は信じています。何故そう思えるかは、僕自身がそれを身を持って証明出来たからです。“好きこそ物の上手なれ”、まさに僕の人生は好きなものを極めることに務めてきた人生でした。中学3年生のときにエルヴィス・プレスリーに魅せられて、「自分もプレスリーみたいになりたい!」と強く思い、それまで歌うこととは無縁な人生を歩んできたことなど何のその。自分の歌の下手さとエルヴィスとは似ても似つかぬ容姿など気にすることもなく、ただひたすらエルヴィスを追い求める毎日でした。あれから45年。本当に色々なことがありました。高校を卒業して5つ違いの兄に“エルヴィス道”を諭され、丁度そんなときにエルヴィスが42歳という若さで亡くなり、改めて、「自分はエルヴィスになるんだ!」と強く誓ったのでした。などと書くとカッコよすぎですが、実際はそれから歌の道に入るためカントリー歌手のジミー時田さんに弟子入り志願して、あまりの下手さに何度も断られ、それでもめげずに何度もジミーさんの許を訪ねたことで、ようやく3カ月後に根負けしたジミーさんから弟子入りは許されたものの、その後もメジャー・デビューの道は遠く、結局、1977年にジミーさんに弟子入りしてから12年後の1989年にやっとのことでプロの歌手としてデビュー出来たのでした。その間、ビルの清掃業務やホテルの客室清掃、電気工事に大学の学食での調理補助に皿洗い、トラックの運転手に文房具の営業など様々な職を経験しましたが、頭の中はいつもエルヴィスで、全くブレない目標に向かってただひたすら“エルヴィス道”を邁進していました。本当に好きだったんですね。そしてその念のようなパワーは音楽評論家の湯川れい子さんを突き動かし、結果、1988年7月にメンフィスのサン・スタジオでジェームス・バートンやD・J・フォンタナ、グレン・ハーディンといった本物のエルヴィスのバッキング・プレイヤーたちとレコーディングするという幸運に恵まれたと同時に、長年夢見てきた「自分はエルヴィスになるんだ!」という夢を達成した瞬間でもありました。そして、その後もそれまで育んだエルヴィスの知識で、CDなどの解説文の他にエルヴィスに関する6冊の本を上梓することが出来ました。今も歌や文章は相変わらず上手いとはいえませんが、それでも昔に比べればだいぶまともになったほうです。エルヴィスを好きになって45年。歌が下手だった僕の場合は、“好きこそ物の上手なれ”の相対的な同義語として、“継続は力なり”という言葉もまさに的確だと今、実感しています。ですので、例えその時点では、結果が出せなくてもお子さんが好きな道を見つけて歩み始めたら、親としてぜひ温かく見守って欲しいと思います。


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